長浜ラーメンが生まれた福岡市の長浜屋台の存続が危ぶまれている。かつては15軒あったのに、最近は営業している屋台が1軒あるかどうかという寂しい状況。市は再三、新規参入を公募してきたが、なり手はおらず先細る一方だ。
【画像】ぽつんと1軒だけ明かりがともる長浜の屋台
4月、やっと長浜に屋台が戻ってきた。コロナ禍で約2カ月間休業していた屋台の「さよ子」が営業を再開したからだ。常連客が顔を出すものの、人通りは少ない。「昔はにぎやかだったけれど、いまはここだけ」と店主の松元幸代子(さよこ)さん(81)。
重い寸胴(ずんどう)を動かせず、もともとメニューにラーメンはない。高齢のため、屋台の組み立てを手伝ってくれる人がいないと開けられないという。
長浜の屋台は1955年に福岡市中央卸売市場鮮魚市場(長浜鮮魚市場)の開場とともに誕生し、当初は市場で働く人のためにあった。忙しい男たちがあわただしくかきこむため、湯がきやすい「細麺」が、手っ取り早く腹を満たすための「替え玉」が、ここで生まれた。その後、中洲の酔客が「最後のしめ」で立ち寄るようになり、やがて観光名所になった。
ただし、汚水を側溝に流して詰まらせたり、明け方まで騒がしかったりして近隣住民の苦情が絶えなかった。
市は屋台基本条例施行後の2016年、もとあった場所から少し離れたところに屋台を再配置し、上下水道や電気を整備した。しかし「以前と違って風を遮る壁がなく、道路を飛ばす車の振動で揺れる」と屋台店主には不評。その一方、屋台から多店舗展開に切り替える経営者も現れ、長浜まで足を延ばさずに市内各地で食べられるようになった。
再配置時9軒あった屋台は廃業が相次ぎ、昨年までに「若大将」「長浜とん吉本店」「さよ子」の3軒に減少。そのうち「若大将」の店主は昨年11月、「体が言うことをきかん」と廃業した。「長浜とん吉本店」もコロナ禍で休業中で、「状況をみて再開を検討します」と店主。結局、営業しているのは「さよ子」があるかどうかだ。
市は16年以降3回、長浜地区に参入を呼びかける公募を実施したが、候補者が辞退するなど営業開始には至らなかった。
市は「長浜を含めて天神、中洲地区も今年度中にも公募にむけた作業を始める予定」(濱田洋輔まつり振興課長)とあきらめていないが、参入希望者を選ぶ市の選考委員会の一人は「今までのやり方で、長浜を選ぶ人は出てくるのか」と疑問視する。閑散とした今の長浜に、屋台や調理器具に資金を投じて新規参入するのはリスクが大きいからだ。
別の委員は「行政側が動かないといけん。このまま長浜屋台がなくなるのはもったいない」と言う。市が上下水道や電気などインフラ整備に投じた資金もこのままでは無駄になりかねず、振興策の検討が求められている。(編集委員・大鹿靖明)
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