「遺骨返還の声を無視し続けた京都大の姿勢を、司法が追認したに等しい」――。昭和初期に旧京都帝国大(現京都大)の研究者が沖縄県今帰仁(なきじん)村の「百按司墓(むむじゃなばか)」から持ち出した遺骨の返還を巡る訴訟で、住民側の請求を棄却した京都地裁判決。訴訟の先頭に立ってきた松島泰勝・龍谷大教授(地域経済論)は判決後の記者会見で涙を見せ、「遺骨が元の島に戻るまで闘っていきたい」と語った。
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「学知の植民地主義」。沖縄県石垣島出身の松島教授は、この言葉を掲げて闘ってきた。そこには二つの意味を込めていた。
まず収集の経緯だ。遺骨は、京都帝大医学部の助教授だった金関丈夫氏や講師だった三宅宗悦氏が1929年と33年の2回、墓から持ち出した。上司の命に基づき、人類学の研究に人骨を使うための「大学ぐるみの盗掘だった」とにらむ。
京大は金関氏の著書の記述から「県庁の担当者や県警察部長を通しており、違法な盗掘ではない」と主張した。松島教授は「日本の本土で同じことが許されるのか」と憤る。「しかも現地は1879年まで琉球王国で、併合後に設置された沖縄県は本土から来た役人が幹部を占める植民地体制下だった」と批判する。
もう一つの問題が、返還の声に対する姿勢だ。同様に墓から研究目的で持ち出されたアイヌ民族の遺骨は2016年以降、北海道大などから故郷への返還が実現し始めた。「琉球人の遺骨も、本来あるべき場所に戻すべきだ」。松島教授は17年、京大に遺骨の確認を申し入れたが拒否され、話し合いのため事前連絡して京大を訪ねても、警備員を介して「会う必要はない」と門前払いされたという。
京大側は、遺骨26体を保管していることを認めたが、返還の協議には応じず、やむなく18年に提訴した。
松島教授は会見で「許しがたい判決だ。非常に残念で悲しい」と語り、涙を拭った。遺骨を京大が保管することを認める判決に、「遺骨は墓にあってこそ意味がある。沖縄県が本土に復帰して50年になるが、裁判所は私たちを人間と認めないのか」と憤った。
「京大は自らの歴史を直視せず、その対応は今も続く植民地主義を表している」と訴える松島教授。「私たちは文化や言葉だけでなく、遺骨まで奪われて返してもらえない。負けるわけにはいかない。控訴して闘う」と決意を込めた。
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