2022年10月20日木曜日

ドリフターズ 仲本工事 仲本興喜 急性硬膜下血腫 死亡 交通事故 8時だョ!全員集合

  18日の交通事故で重傷を負い、治療を受けていた「ザ・ドリフターズ」のメンバーでタレントの仲本工事さんが19日、急性硬膜下血腫のため亡くなった。所属事務所が公式サイトで発表した。横浜市内の交差点で車にはねられた当初は重傷とされたが、容体が急変し、帰らぬ人となった。81歳だった。

 サイトでは「弊社所属タレント 仲本工事(本名=仲本興喜)が、令和4年10月19日22時22分、急性硬膜下血腫のため、満81歳で死去いたしました。ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と報告。

 葬儀については「ご親族を含めた関係各所と協議した上で後日ご報告をいたします」としている。

 仲本さんは18日午前9時過ぎ、横浜市西区浅間町5丁目の交差点を横断しようとしたところ、ワゴン車にはねられた。頭を強く打ち、顔から血を流すなどして重傷とされた。意識はもうろうとしていたという。神奈川県内の病院で緊急手術を受け、治療が続いていた。

 妻で演歌歌手の純歌(54)は18日夜、取材に「今のところ心臓も血圧も結構、正常に近い状態」と説明。「本人は頑張っているので、皆さん応援してください」と呼びかけていた。

 仲本さんは1941年7月5日、東京都で生まれた。2008年の本紙連載「仲本工事の全員集合!」によると、小学生時代から音楽に親しみ、中学でロックにハマり、ギターを毎日弾くようになった。中学、都立青山高時代は体操部で活躍したが、進学した学習院大に体操部はなく、音楽にのめりこんだ。

 大学2年の62年、訪れたジャズ喫茶で演奏していたバンドに飛び入り参加。バンドのドラマーが2歳年下の加藤茶だった。大学3年時は故ジェリー藤尾さんの専属バンドの歌手オーディションに合格。そこには高木ブーがいた。

 大学4年の64年、当時人気バンドだったザ・ドリフターズから声がかかった。メンバーになっていた高木がリーダーの故いかりや長介さんに仲本さんを推薦。靴職人の父が反対すると、いかりやさんは自宅に乗り込んで父を説得した。

 ドリフターズは66年のビートルズ来日公演で前座を務めるなど音楽性の高いバンドだったが、ギャグを取り入れてコミックバンド化し、やがてコメディアン的なグループに。その象徴が69~85年に放送されたTBS系「8時だョ!全員集合」だった。

 圧倒的な人気を誇った〝お化け番組〟で、仲本さんは少年時代の経験を生かした体操で存在感を発揮。「ハイポーズ」でも注目された。

 番組終了後は、俳優としてテレビ朝日系「遠山の金さん2」など多数のテレビドラマや舞台に出演。音楽では99年、高木、加藤と「こぶ茶バンド」を結成する一方、2013年にはシングル「持病の歌~ぼくには夢がある 希望がある~」をリリースした。保険会社のCM曲だったこの歌は中高年への「エナジーソング」と言われた。

 27歳下の純歌とはライブで知り合って意気投合。08年にデュエット曲「この街で」を発表し、12年に結婚した。

 音楽からコメディーをへて演技へ、そして再び音楽に力を入れた。同い年では萩本欣一、倍賞千恵子、三田佳子、石坂浩二、高校同期でもある橋爪功ら大御所がいるなか、無念の旅立ちとなった。

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